読みたいことを書く

昔読んだ本で「読みたいことを、書けばいい」という本があった。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07RXM2DHZ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

タイトルからもわかるように、「自分が読者として読みたいことを書けば、書いている自分がおもしろい」というような内容だった。

 

そんなことをさっきお風呂に入りながら思い出していた。

理由は単純。

このブログが、全くもって読まれないからである。

 

記事を書いては、アクセス数をチェックするが、全くもって読まれない。

フラストレーションが溜まる。

そして、記事を書く気力がなくなる。

そんな繰り返しだった。

でも、それではもったいない。

せっかく文章を書くのだから、せめて書いている自分は楽しくありたい。

あれ、というかそんな本があったな。

と、こういう流れで本のことを思い出したところである。

 

「自分が読みたいものを書こう!」とお風呂場で誓ったものの、すぐに違う疑問が浮かんでくる。

「自分が読みたいものってなんだ?」

これがすぐには浮かんでこない。

 

読みかけの本がたくさんある。

それらは確かに自分が読みたい本だ。

だけど、その本に書かれていることを、ここで書いても仕方がない。

あとで読むのだから。

 

結局、「読みたいことを書く」というのは正しいと思うけれど、

「自分が読みたいのに、誰も書いてくれないから、自分が書こう!」というのが正しい流れだと思う。

書きながら思ったが、おそらく先ほどの本の中に書いてあった。

「他の人が書いているのであれば、あなたが書く必要はない」的なことが。

確かにそうだ。

 

書きたいことを書きたい。

やりたいことをやりたい。

口に出さなかったとしても、誰もがやりたいことをやって死にたいと思っていると思う。

そうじゃない人もいるのかな。

やりたくないことをやって死にたい人はおそらくいないだろう。

なのに、自分も含め、本当にやりたいわけではないことを、いろんな理由をつけて、やっている人が多いのではないだろうか。

 

どうしたら良いのだろう。

例えば、会社に入った人は、期待を膨らませて入社したのではないだろうか。

でも、実際に仕事をしてみると思っていたこととは違って、何か不満が残ったりする。

そうなった時に、いくつか選択肢があるように思う。

1つは、会社を辞めて、別の道を探すこと。

言い換えると、不満の原因は外部にあると判断して、そこから退くことだ。(別にそれを悪いと言っているわけではない。)

2つ目は、それでも楽しい部分を探して、その仕事を続けること。

これは、不満の原因は自分にあると判断して、そこから工夫する道を選んだわけだ。(別にこれがいいとも限らない)

3つ目は、不満を持ちながらも、特に工夫をすることもなく、仕事を続けること。

 

こうやって書いてみると、どれが正しい選択なのかは、判断できないと思う。

だって、別の道を探したところで、同じように不満を持つかもしれない。

また、工夫して、今の仕事を楽しくするのはいいけれど、会社を辞めたらもっと楽しいことがあるかもしれない。

そして、工夫をすることもなく、淡々と今の仕事を続けているうちに、周りの人が辞めていって、面白い仕事が回ってくるようになるかもしれない。

どんな筋書きになるかは決してわからないのだ。

 

だとしたら、できることはなんだろう。

結局、悩みながらも、将来のことに対しては過度に考えすぎず、また過去に対しては、過ぎたことだと肯定し、今をできるだけ楽しむしかないのではないか。

なんか安っぽい自己啓発みたいになってしまったが、結局そういうことなんじゃないか?

 

そういえば楽しむということについて、最近思ったことがある。

それは、消費する側よりも生産する側の方が楽しいということだ。

文章を読むのが好きだったら、書いてしまえばいい。

やりたいことがあったらやってしまえばいい。

実際は、最初の1歩目が一番重たかったりするものだけど、踏み出してしまえば、その後は意外と楽になる。

 

そして、始めてからは、周りの評価を気にしない。

自分が消費者の立場になったときに、欲しいものを作ろう。

そうしたら、たとえ誰も見ていなくても、自分が十分おもしろい。