早く起きた朝は
早く起きた朝は、何か得した気分になる。
いつも失っている時間を取り戻したような、そんな気分になる。
せっかく早く起きたのだから、何かをしようと思う。
そうして今、文章を書いている。
文章を書くと、頭の中が整理される。
私にとっては、口に出すよりも、文章で書いた方が、より整理しやすい。
思うがままにキーボードを叩くと、自分でも思ってもいなかったような言葉が出てきて、驚くことがある。
そうして驚くことによって、自分を少しだけ客観視できたような気分になり、満足する。
そうした「客観視した気分」によって、心が休まる感覚がある。
自分で文章を書いて、「自分はこんなことを思っていたのか」と、自分の感情を客観視できたような気分になって、何か楽になった気分になる。
それが文章を書く「効用」であると思う。
「効用」というのは便利な言葉だと思う。
例えば、温泉の「効用」が表記されているのを見ると、温泉に浸かりながら、自分が今、健康に良いことをしている気分になる。
ランニングだって、健康的な食事だって、旅だって、なんだってそうだ。
わかりやすい「効用」があると、自分がしている行動を正当化できる。
でも、外部から押し付けられた「効用」では長続きしない気もする。
自分が何かを続けていくうちに、自分の中での変化や、どんな感情になるのかを確認しながら、どんな「効用」があるかを、「自分の言葉」で定義する方が楽しいし、何かを続けるうえでは役に立つ。
だから、調べたらすぐにわかる「外部の情報」も必要だが、自分が考えたり、感じた「内部の情報」をもっと大切にしたい。