つらい夜の乗り越え方

仕事や人間関係などが思う通りにいかず、もどかしい気分になることがある。

そういう時に、どういう心持ちでいれば、少しでもましな気分になるのか。

いくつか考え方があるように思う。

 

まず第一に、思い通りにいかないことの方が人生では多い。

逆に言えば、全てが思い通りになってしまったら、人生の喜びが半減してしまうように思う。

だって、思い通りにいくとわかっていることが、思い通りの結果になっても「ほらね」と思うだけで、嬉しくはないだろう。

だから、思い通りにならない時間は、思い通りかそれ以上の結果が得られた時の喜びには欠かせないものであると思う。

人生のスパイスみたいなものだ。

でも、スパイスの量が多すぎたら辛すぎてしまうので、適量にする必要がある。

そんなときにはどうしたらいいのか。

 

 

私は、しんどいな〜と思うときに「すべらない話」をよく見る。

なぜか。

すべらない話を見ていると、うまくいかなかったことや、恥ずかしかったこと、人生の汚点とも言えるようなことも、見方を変えればネタになることがわかる。

この視点を持っているか否かの違いは、地味に大きいように思う。

 

何か嫌なことや腹立つことがあったときにどう捉えるか。

そのときは、嫌な気分や怒りを存分に味わえば良いと思うが、少し時間が経ったら、この話を誰かに話したら面白そうだな、とネタにしてしまえば良いと思う。

そういう考え方を自分の中に持っていれば、思い通りにいかないときの処方箋になると思う。

いつかはこの時間もネタになるのだと。

こういった、何かが起こったときにどう捉えるか、そういった「ものの見方」や「考え方」「価値観」がその人の人生をかたち作っていくのだろう。

 

 

何か大きな話になってしまいそうなのでやめにするが、簡単に言えば、思い通りにいかないときは「笑えば」いいのだと思う。

いや、思い通りにいかないときこそ「笑い」が大切であるように思う。

 

マーク・トウェインの小説「不思議な少年」の中にこんなセリフがある。

君たち人間ってのは、どうせ憐れなものじゃあるが、ただ一つだけ、こいつは実に強力な武器を持っているわけだよね。

つまり、笑いなんだ。

不思議な能力を持つサタンのセリフだが、非常に的を得ているように思う。 

また、このセリフはマーク・トウェインの晩年が反映されているようにも思う。

投資の失敗で多額の借金を抱え、返済のために講演旅行を続け、疲労困憊する中で長女が亡くなり、妻や三女も病気になって。。

 

そんな彼が、作品の中で、人間を否定し嘲笑するサタンに、このセリフを言わせたのは、深い意味があるように思う。

辛い人生であるからこそ、「笑い」が必要。

 

 

私の場合は、うまくいかないときこそ、笑うようにしているが、それが全てではない。

一人ひとりが、つらい夜の乗り越え方を持っていることだろう。

一人ひとりが悩んで、考えて、たどり着いた答えであれば、他人から見て間違っていても、正しいように思う。

 

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読みたいことを書く

昔読んだ本で「読みたいことを、書けばいい」という本があった。

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タイトルからもわかるように、「自分が読者として読みたいことを書けば、書いている自分がおもしろい」というような内容だった。

 

そんなことをさっきお風呂に入りながら思い出していた。

理由は単純。

このブログが、全くもって読まれないからである。

 

記事を書いては、アクセス数をチェックするが、全くもって読まれない。

フラストレーションが溜まる。

そして、記事を書く気力がなくなる。

そんな繰り返しだった。

でも、それではもったいない。

せっかく文章を書くのだから、せめて書いている自分は楽しくありたい。

あれ、というかそんな本があったな。

と、こういう流れで本のことを思い出したところである。

 

「自分が読みたいものを書こう!」とお風呂場で誓ったものの、すぐに違う疑問が浮かんでくる。

「自分が読みたいものってなんだ?」

これがすぐには浮かんでこない。

 

読みかけの本がたくさんある。

それらは確かに自分が読みたい本だ。

だけど、その本に書かれていることを、ここで書いても仕方がない。

あとで読むのだから。

 

結局、「読みたいことを書く」というのは正しいと思うけれど、

「自分が読みたいのに、誰も書いてくれないから、自分が書こう!」というのが正しい流れだと思う。

書きながら思ったが、おそらく先ほどの本の中に書いてあった。

「他の人が書いているのであれば、あなたが書く必要はない」的なことが。

確かにそうだ。

 

書きたいことを書きたい。

やりたいことをやりたい。

口に出さなかったとしても、誰もがやりたいことをやって死にたいと思っていると思う。

そうじゃない人もいるのかな。

やりたくないことをやって死にたい人はおそらくいないだろう。

なのに、自分も含め、本当にやりたいわけではないことを、いろんな理由をつけて、やっている人が多いのではないだろうか。

 

どうしたら良いのだろう。

例えば、会社に入った人は、期待を膨らませて入社したのではないだろうか。

でも、実際に仕事をしてみると思っていたこととは違って、何か不満が残ったりする。

そうなった時に、いくつか選択肢があるように思う。

1つは、会社を辞めて、別の道を探すこと。

言い換えると、不満の原因は外部にあると判断して、そこから退くことだ。(別にそれを悪いと言っているわけではない。)

2つ目は、それでも楽しい部分を探して、その仕事を続けること。

これは、不満の原因は自分にあると判断して、そこから工夫する道を選んだわけだ。(別にこれがいいとも限らない)

3つ目は、不満を持ちながらも、特に工夫をすることもなく、仕事を続けること。

 

こうやって書いてみると、どれが正しい選択なのかは、判断できないと思う。

だって、別の道を探したところで、同じように不満を持つかもしれない。

また、工夫して、今の仕事を楽しくするのはいいけれど、会社を辞めたらもっと楽しいことがあるかもしれない。

そして、工夫をすることもなく、淡々と今の仕事を続けているうちに、周りの人が辞めていって、面白い仕事が回ってくるようになるかもしれない。

どんな筋書きになるかは決してわからないのだ。

 

だとしたら、できることはなんだろう。

結局、悩みながらも、将来のことに対しては過度に考えすぎず、また過去に対しては、過ぎたことだと肯定し、今をできるだけ楽しむしかないのではないか。

なんか安っぽい自己啓発みたいになってしまったが、結局そういうことなんじゃないか?

 

そういえば楽しむということについて、最近思ったことがある。

それは、消費する側よりも生産する側の方が楽しいということだ。

文章を読むのが好きだったら、書いてしまえばいい。

やりたいことがあったらやってしまえばいい。

実際は、最初の1歩目が一番重たかったりするものだけど、踏み出してしまえば、その後は意外と楽になる。

 

そして、始めてからは、周りの評価を気にしない。

自分が消費者の立場になったときに、欲しいものを作ろう。

そうしたら、たとえ誰も見ていなくても、自分が十分おもしろい。

イスラエル パレスチナ なぜ①

最近、イスラエルパレスチナに関するニュースを目にすることが多い。

 

私は、イスラエルパレスチナに2019年の12月に行った。

その時は平穏そのもので、ニュースで目にするような争いごとは世の中のほんのごく一部で、そのほかの場所では穏やかな時間が流れているんだなぁと感じていた。

 

ただ、やはり日本にいるとニュースが気になる。

ユダヤ人でもアラブ人でもない人がとやかく言うことではないとわかってはいるが、どうにかならないものか。

 

イスラエルパレスチナに行ったときの写真を見返していると、あの場所で過ごした時間を思い出す。

また、あの場所に行けるだろうか。

 

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イスラエルでよく食べたフムス

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とにかくスパイスの種類が多い

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ユダヤ人がかぶる帽子「キッパ」

 

自分が本当にやりたいことを知るための10の質問

本当にやりたいことをしたい!」と思う人はたくさんいると思います。

 

今回は、「本当にやりたいことを知るための10の質問」をご紹介するので、参考にしてみてください!

 

問1:朝、思わず飛び起きたくなる日はどんな日?

問2:自分が飽きずにできたプロジェクトや計画は何?

問3:自分が全く楽しめなかったプロジェクトは何?

問4:明日仕事をやめるとしたら、あとで一番やりたくなるのはどの部分?

問5:あなたの趣味は何?

問6:若かった頃、大人になったら何になりたかった?

問7:今の時間の使い方は、自分にとって意味があると感じている?何かが足りないとすれば何?

問8:(第3者になったつもりで考えてください)自分が普段、どんなことに情熱を持とうとしているか?

問9:この世界にどんな足跡を残したいか?

問10:寿命が残り1年だとしたらどう過ごすか?(残り10年から短くしていく)

 

それぞれの質問に対して、10個くらいを目標に答えを出してみてください。

また、答えの中で共通点やなぜその答えが出てきたのか理由について考えてみると、「本当にやりたいこと」を見つけるためのヒントになると思います!

 

ぜひ参考にしてみてください!

7つ目の仮面

朝6時に起きる

妻も子供もまだ起きていない

 

朝食を食べ、身じたくをする

妻も子供もまだ起きてこない

 

会社に向かう

妻と子供はようやく起きただろうか

 

仕事をそつがなくこなす

変わりばえのない退屈な日常

 

後輩のまゆ子さんを含め

4人で昼食をとる

 

夕暮れ時、ささいなミスで上司から叱責される

 

帰路につく

 

妻と子供とあたたかい夕食をいただく

 

風呂に入り、横になる

ふと棚の上にあるものが目にとまる

 

「おかしいな、こんな仮面は買った覚えがない、、」

ネガティブな「前フリ」 Mr.Children 「ALIVE」

Mr. Childrenの名曲「ALIVE」という曲をご存知でしょうか。

1997年にリリースされたアルバム「BOLERO」に収録されている曲です。

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このブログでは、タイトルからもわかるように「お笑い」について書いていくつもりでしたが、最近あらためて「ALIVE」の凄さに圧倒されたので、どうしても書きたくなってしまいました。。

 

私は高校生の時にこの曲を初めて聞きましたが、正直言って衝撃でした。

何が衝撃かというと、とにかく暗いんです。とにかく暗くて、曲を聴きながら連想したのは太宰治の「人間失格」でした。この作品を作った人は、完成させた後に死んでしまうのではないかと。

 

ですがこの曲に感動したのは、初めはとにかく暗くてダークな雰囲気なのに、曲調や歌詞が変化していき、最終的にはとても前向きな曲に変わることです。

音楽によって「ネガティブな感情をポジティブな感情に昇華できる」ということに感動を覚えました。ここはお笑いにも共通しているポイントかと思います。

 

以下、歌詞についての私の勝手な解釈です。

ネガティブに思える歌詞とポジティブに思える歌詞で色分けしています。

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この感情は何だろう 無性に腹立つんだよ
自分を押し殺したはずなのに
馬鹿げた仕事を終え 環状線で家路を辿る車の中で

全部おりたい 寝転んでたい
そうぼやきながら 今日が行き過ぎる

手を汚さず奪うんだよ 傷つけずに殴んだよ
それがうまく生きる秘訣で
人類は醜くても 人生は儚くても
愛し合える時を待つのかい

無駄なんじゃない 大人気ない
知っちゃいながら Uh さぁ 行こう

夢はなくとも 希望はなくとも
目の前の遥かな道を
やがて何処かで 光は射すだろう
その日まで魂は燃え

誓いは破るもの 法とは犯すもの
それすらひとつの真実で
迷いや悩みなど 一生消えぬものと思えたなら
ボクらはスーパーマン

怖いものなんてない 胸を張ってたい
そして君と Uh さぁ 行こう

意味はなくとも 歩は遅くとも
残されたわずかな時を
やがて荒野に 花は咲くだろう
あらゆる国境線を越えて
Uh… Uh… Uh… Uh… Uh… Uh… Uh… Uh…

さぁ 行こう
報いはなくとも 救いはなくとも
荒れ果てた険しい道を
いつかポッカリ 答えが出るかも
その日まで魂は燃え

夢はなくとも 希望はなくとも
目の前の遥かな道を
やがて荒野に 花は咲くだろう
あらゆる国境線を越え…

歌:Mr.Children

作詞:桜井和寿

作曲:桜井和寿

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 このように色分けをしてみると、1番の歌詞はほとんどがネガティブな印象を受けます。

ただ、1番のサビ前で唯一前向きな言葉、かつ、この曲全体で最も前向きな言葉は「さぁ 行こう」 ではないかと思います。

さぁ 行こう」はこの曲に3回出てきますが、この言葉があることによって、それまでのネガティブな歌詞が全て「前フリ」のようになっています。

特に1番の「知っちゃいながら Uh さぁ 行こう」というのは一番前向きだと思います。なぜならそれまでのネガティブな感情を捨て去るわけでもなく、知ってはいるけど前を向くのだという強い意志が感じられるからです。

 

この「さぁ 行こう」によって、それまでのネガティブな歌詞がポジティブな歌詞を生むための「前フリ」になるのだとすれば、2番以降に出てくる一見ネガティブに思える歌詞は、もはやネガティブではないのかもしれません。

 

特に

迷いや悩みなど 一生消えぬものと思えたなら
ボクらはスーパーマン

怖いものなんてない 胸を張ってたい

この部分は、曲全体の中で一番好きな部分です。

一見ネガティブに思える感情を受け入れて、前を向いているイメージを強く受けます。

 

また、サビで前向きな言葉が並びますが、この前向きな言葉があることを知ったうえで、それまでのネガティブな歌詞を見ると、このサビを際立たせるための「前フリ」に思えてきます。

やがて何処かで 光は射すだろう
その日まで魂は燃え

やがて荒野に 花は咲くだろう
あらゆる国境線を越えて

いつかポッカリ 答えが出るかも
その日まで魂は燃え

 

そして、この歌詞の中で色分けをしていない

目の前の遥かな道を

残されたわずかな時を

荒れ果てた険しい道を

この部分は、ポジティブでもネガティブでもなく、現状を客観的に認識している部分かと思います。1番では「遥かな道」と言っておきながら、2番では「わずかな時」と歌っています。確かに人生の中で、何かが永遠に続くように思えるようなこともあれば、例えば周りの人の訃報などに接し、残された時間があまりないことに気づくときもあるので、それをうまく表現していると感じます。

 まとめ

ここまで長々と書いてきましたが、Mr. Childrenの「ALIVE」を一言で表現するとすれば、『ネガティブな前振りを散りばめて、「さぁ 行こう」の一言で ポジティブに変換する曲』と言えるかもしれません。

 

実際に聞いてみて、勝手に解釈して欲しいです。

www.youtube.com